韓国と日本、あなたと私。

日韓大学生交流事業を通じて私が体験した韓国という国、そしてそこで出会ったチング(友達)を通して学んだことなんかをこの1年を通して書かせてもらいました。今回はこの1年のまとめを書かせていただきます。

私が初めて韓国を強く意識したのは確か'93年のW杯アジア予選でした。そう、日本人の間ではドーハの悲劇として知られるあの予選です。ドーハの悲劇を伝える韓国メディアのニュースを見たとき、その騒ぎっぷりに悔しさと憤りを覚えたことを今でも覚えています。同時にこの年は日本でJリーグが開幕した年。当時広島に在籍したノ・ジョンユンは韓国では「何で日本に行くんだ」なんて声があったと後から聞きましたが、そんな声を跳ね返して日本で活躍していました。

'96年に決定したのが'02年W杯の日韓共同開催。日韓関係を考える上で大きなターニングポイントとなったのはこのときでしょう。'97年の最終予選。ソウルで開催された日韓戦では「一緒にW杯へ行こう」なんて垂れ幕があって、戦後長期にわたって強烈なライバル関係にあった日韓サッカーの歴史において大きな一歩やなと、そんな事を考えていました。

ホン・ミョンボ、ユン・サンチョル、ハ・ソッチュ、ファン・ソノン、ユン・ジョンファン、チェ・ヨンス、キム・ドフン、そしてパク・チソン。多くの韓国人選手が来日し、それを見事代表に還元したのが'02年のW杯。

サッカーのことばっかり書いてますけど、でも今までの日韓関係が変わったきっかけってやっぱサッカーを通してやったと思うんです。

それ以外では、日本での空前の「韓流」ブーム、そして韓国での日本大衆文化の解禁…この10年間で文化的な側面では日韓両国をとりまく関係というものは大きく変化したんちゃうかなと勝手に解釈しております。

実は日韓大学生交流事業に参加したとき、ソウルと東京で一回ずつ学生による討論会というものがありました。そこではお互い歴史問題や政治的な問題はあえて触れずに、今どきの日韓両国の大学生が、学生生活、恋愛、就職観、人生観それに両国の文化について話し合いました。

日韓両国は歴史的にはお互いが忘れてはいけない過去を抱えている。その過去をめぐっていまだに政治的な対立が根深く、その対立が一国の首相の靖国参拝という事実によってさらに混沌と化している。某巨大掲示板では韓国に対する過激な書き込みがあるし、「嫌韓流」という本が最近よく売れているなんて話もある。

私は「韓流」ブームには興味がないし、首相の靖国参拝は止めてもらいたいが靖国の存在自体は否定するつもりはない。

それは、私自身がこの目で、体で、韓国という国を見て、体験したからに他ならない。と同時に韓国を通して日本という国を見つめ直したからだ。ひたすらキムチ、東京並みに大都会でもどこか大阪に似ているソウル、そこに住む人々はそれこそ大阪と変わらないし、大学生だって日本の学生と感覚は同じだ。そして男性なら避けて通れない徴兵制度とソウルから1時間もかからずに着くのがDMZ。これが素顔の韓国。そんな韓国の人々は今の日本をリスペクトしている。そういう事をソウル滞在中も東京でもひしひしと感じた。

大切なのは、過去を振り返ったり蒸し返すことではない。これからの日韓関係のためにまずはお互いをリスペクトすることから始めたらいいんだ。

なんていうか、そんなことを韓国人の友達から一番勉強したような、そんな気がします。

でもそれって、国と国同士の話だけやなくって、単純に人間関係でもそんなことが言えるやろし、最後は自分自身に還ってくる。私はそない思います。まずは自分自身を知り、自分をリスペクトする。自分をリスペクトして初めて他者をリスペクト出来る。来年からがらりと環境が変わって、社会に出る(言うても片足だけですけど…笑)にあたってこのことだけは忘れないようにと自分に言い聞かせたいですね。