かわったものと、かわらないもの。

夏に同窓会をするという話は以前に書いたと思うけど、それに関連して地元の同級生と数年ぶりに会う、という機会が増えている。
さすがに何年も会ってなかったりするとルックスとか変わってわからへんのちゃうかなと、それが一番心配だったりしたわけやけれど。
しかし私の場合は、「何も変わってないからすぐにわかる」(同級生談)

地元の名所になっている公園を訪れる。
昔の城跡の石垣の奥に図書館を備えたその公園は、2年前学部生時代の夏に大学院の入試対策に毎日通った公園でもある。
いつ訪れても変わらない公園の、石垣の上の街を見渡せるベンチに腰掛ける。
ここから眺める地元も、私は好きだったりする。
何年経っても変わらないその姿も、駅前の再開発でそう遠くない将来には見られなくなるのかもしれない。

公園のベンチに腰掛けながら、内定先から頂いた書籍を読みつつふと考えてみる。

変わったもの。
年齢に相応した経験によるもの。
プラスとマイナス、経験にはそれぞれあるんだけれど。
2年前同じベンチに座っていた自分と比べてみる。
何を得て何を失った。
というよりもそれまで築いてきた自分を取り壊して、残されたパーツと新しく取り込んだパーツを組み合わせて新しい自分を組み立てないと今以上の進歩はないんだよなと気付いた一年。
日々の生活で中々自分の進歩が見えてこないのは、残されたパーツの中で何が使えるのか、新しく取り込んだパーツと組み合わせると何が使えないのか、そこら辺の選別がうまく進行していない、そこにあるんやないかなと思う。
学業にしても、バイトにしても、恋愛にしても。
それらを全部ひっくるめた「私」という人間にしても。


戦略というものは時代の変化に応じて変容していくものだ。
しかし、変わらないもの、変わっちゃいけないものがあるのだとしたら、前述の書籍によれば「価値観」である。企業でも一個人でもそれは変わらない。
昔と比べて私は変わった部分というものは大いにあるはず。
でも、何年経っても変わらない、例えば「価値観」や地元の街のような、それらが与えてくれる信用や安心感を周りが感じ取ってくれるのであれば、私の存在価値というのはそこに大きな意味があるのかなと思う。