人が人らしく生きられるために

日本縦断写真展「人が人らしく生きられるために〜『人間の安全保障』の現場から」(国連広報センター)

バイトに備えて5時に起床して急いで飯を食っていたところつい見入ってしまった国営放送のニュース。
夜が明けて間もない、薄明かりの駅で電車を待ちながらふと考えてみる。

ちょうど2年前に遡って、私はどうして内定先を辞退して大学院進学を決めたのか。
進学してから一年半、公私共にジタバタしている間にここまでたどり着いた感があったんだけれど、今だからあえて、あるいは今ここにたどり着いたからこそ自分の中で再評価してみる必要がある。

この夏訪問したUKにおいて参加したジャンボリーの会場内に、愛知万博でも確か出展していたGDV(Global Development Village:地球開発村)が開設されていた。
ジャンボリーに参加していて一番実感することって、同じ理念の下活動している仲間が全世界に広がっていて、「世界は一つなんだな」ということだと思う。
でもこれって表裏一体で、じゃあ例えば彼の住んでいる国はどやねんとか、彼女が生まれた国は今どういう問題に直面しているのか、ということが見えにくくなることがままある。

世界はひとつだということを実感すること、それは今日の世界がどういう問題に直面しているのかということを知ることにも通ずるんだけど、どうも自分の世界だけで安住してしまってはそういう問題は臭いものには蓋をしろ、ではないけど関心がなくなってしまう。

逆に、年に数回放送されるような途上国を取り上げたドキュメンタリーを見ては「途上国の人はかわいそうだ」と同情すること、取っ掛かりとしては確かに大切だけれども、これも結局は臭いものに蓋をしている行為をしているに過ぎない。

地球開発に関わる問題、すなわちグローバル化に伴う問題というものはその規模も分野もとてつもなくでかい問題だ。だからこそ、例えば私の場合は経済学の立場からというように、各自がそれぞれのアプローチで、それぞれのスタンスでその問題に相対していかなければならないということを認識しなければならない。
特にこれらの問題を(微力ながら)研究している立場として、いずれ就職して全く関係のない仕事に就いたとしても、自分がどういうスタンスで関わることができるのかということを常に頭の片隅でも意識しなくちゃいけないんだよな、ということを留めておかなくちゃいけない。


今月は六本木ヒルズで展示しているみたいだけど、来月の中旬は神戸でも展示会があるらしい。
是非とも見に行こう。

自戒も込めて。
自分をもう一度見つめなおす一つのきっかけとして。