「無」のモダニズム

「無知」は恥ずべきことで、ときにそれが原因で他者をひどく傷つけることがある。
「無知なほうがかわいい」なんて思うのは若さの甘え。


連日マスコミを賑わせているあの騒動に対して,とあるメディアから抜粋.
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騒動に対してあれこれ言うつもりはないけれど,ただバッシングをするだけではなくて冷静に物事を分析することも必要ではないかなと.そういう意味ではテレビ番組での勝谷さんのコメントも正論なのかもしれませんよと.

「好き」の反対が嫌い,ではなく「無関心」であるとよく言われるけれど.
この「無知」って言葉も,ここで言うところの「無関心」に近いんじゃないかなとふと思う.

無知だから許される,笑って済ませられる.
無関心だから,相手の立場は省みなくても良い.

本来備えておくべきもの,それがないから「無」になる.
周りの全てをシャットアウトする「独」とは違って,本来見えているはずのものなのに見えない振りをする.
結局,「無」は現代の意味では物事の本質から視線を逸らす,そんな風な意味に成り下がってしまっている.

少なくとも,私はそんな人間にはなりたくないと常々言い聞かせている.
それが良心なのか否かは世間が判断することだけど,ただ言えることはそういう人間にとっては窮屈な世界なんだよということを知って欲しい.

それだけ,それだけなんだよ.