「開発」という哲学。

先日、大阪で企業の説明会に出席した帰りに同期と一緒にちょっと寄り道をして千里中央である友達と話をすることができた。

その友達は、アフリカの某国を研究のフィールドにしていて、この正月を挟んで1ヶ月ほどアフリカに滞在したときの話を面白く語ってくれてこれはこれはためになる話だった。

ただ、何で彼女がその国をフィールドとして選択したのか。
実はそこが気になったんやけど、何だか尋ねるのは愚問だなと思ってそれは聞かないことにした。

「開発」とはロマンである。
「開発」とは哲学である。

これは実際に現場で国際協力の実務を経験する、あるいは研究なり調査なり何でもええけど現地の生活にどっぷり浸かってみるという経験がないとわからないと私は考えている。

ロマンには理由は要らない。
哲学には理屈は要らない。

例えば、就活で説明会に行くと必ず「何で入社したのですか」という質問をする人がいるけれど。私の場合「何で大学院に入ったのですか」と聞かれたら「合格したから」としか答えようがないのと同じやと思う。でも、なんで入社したのかという理由よりも、何がその人をそうさせたのか。そこに哲学もロマンもなければ、ただの行き当たりばったりの人生でつまらない。

私のような理論研究者ではなくて、冒頭の友達のような地域研究者は、フィールドにしている国や地域は人によって違えど、一旦話を始めるとそれはもう目を輝かせたり堰を切ったように話をしたり、彼らのロマンは壮大で、哲学は結構似ているものがある。

「開発」という哲学って、こんなところだ。