私たちの、国際人としてのフトコロ:The Answer

師匠が海外出張中ということで、少しブログを書く時間ができたのでまじめな話を書いてみる。

韓国の友達ドゥホ兄貴が一年間ワーキングホリデーでオーストラリアへ行くということで、その前に東京に立ち寄ってくれたらしい。私も電話で彼と話をすることができたんやけど、詳しい元ネタはこちらで。
さらに言えば、スンヒョクの2年間の徴兵期間も間もなく終わり除隊となる。

韓国の友達に関する話は、日韓のブログでイデリーが書いてくれているのでここでは違う話を。

標記の題名の通り、
「私たちの、国際人としてのフトコロ」
って結局何だろうかということ。

昨年の入学から間もなく一年が経つが、この一年間を通してずっと考えていたのが、国際協力とか開発とか援助とか結局何やねんと。

私なりに考えたことは、国際人として大事なことは、
「バランス感覚」
だと思う。例えば、
自分にできること、自分にしかできないこと
自分にはできないこと、他人に任せたほうがいいこと

の間のバランス感覚とか。

私が所属している研究科は、おおよそ半分くらいはアジアや中南米からの留学生で構成されている。彼らは、ここで得た知識を自国に持ち帰って将来的に活躍するのだろう。日本人学生は、それこそ海外で国際協力の現場にいた人から数年の実務経験のある人から私のような学生上がりの人もいるけれど、その中からアフリカや東南アジアの農村へ調査に行く人もいるし私のように実証は研究とは関係ないので理論を計算している人もいる。

ここに所属している人間は、「国際協力」という大義名分のもと各自が異なる問題意識を持ち、それを自分なりの方法で研究しているといえる。

でも、間違えちゃいけないのは「国際協力」という言葉の意味を履き違えること。開発とか援助とかいう名目のもとでの活動が、結局活動に携わった人間の自己満足に終わってしまうこと。

「人」という字はお互いが支え合って…という行は金八とかであまりにも有名な行であるけれども、「人間」という字は人と人の間に「間」が存在するんだという話を今年の初めにある講演会で坊さんが仰ってた。私の考え方はこの坊さんに近いと思う。つまり、人間はお互いに支えあわなくちゃいけない部分もあるけれども、同時に他人にとっては絶対不可侵な部分も各々が持っているということを忘れたらあかんと。
人間はhumanであると同時にindividualでもあるのだ。

もちろん、グローバルな視点で社会を見つめることはとても大切なことだ。
しかし、同時にその社会の中で自分に何ができて何ができないかということを把握するのはもっと大切なことだ。

このことは小学生からのボーイスカウト活動で一番教わったことやけど、大学院に入ってからの一年間でその意味をじっくりと考えることができたと思う。