同窓会ですか。

中学校の同窓会を夏に開催します、という知らせがメールで回ってくる。
形式的には2年ぶりの開催。(blogにも書いたけど)
しかも、今回は前回よりもさらに大々的にやろう、ということらしい。
言いだしっぺでも幹事でもないけれど、何かと手伝うことが出てきそうだ。

ところで、話はガラリと変わるけど。
私もこことか、あるいはミクシーで日記を書いたり、あるいは友達や仲良くして頂いているbloggerさんの日記やお気に入りのblogを読んだりしているけれど、BlogやSNSで普段会えない友達でも彼(彼女)の日常を掻い摘んで見ている以上、同窓会のありがたみってどこにあるんだろうかと思えてくる。

もはや、同窓会やなくてオフ会やん(笑)

地元バイトの先輩は、震災以降バラバラになった同級生をSNSを通じて探しているんやで、なんて涙が出そうな話をしてくれたけれど、私の場合は残念ながらどうもその境地には達していない。
というか、大概の場合は私に似て然り、だと思う。

昔は仲が良かったけれど、時が経つにつれて疎遠になっていく人っていうのは必ずいる。
疎遠になるというのはそれなりの必然がある。
必然の後の結果として、特に支障なく過ごせているのであれば疎遠になった関係を無理やり引き戻そうとは思わない。
逆に年に1度しか会わなくても仲の良さは昔と何ら変わらない、という友人は私の周りにはたくさんいる。
疎遠になるのに必然があるとすれば、1年に一回でも会いたい、というのもまた必然。
それが就活でもよく使われる人間関係における「縁」であるとする。

SNSは、現実における「縁」というものを超越して、単に人間関係を線で繋ごうとすることにある種の危機感(要するに鬱陶しさ)を感じることがある。
そこには、必然だ縁だといった概念は排除されてしまう。
例えば感慨深い(それこそバラ珍みたいな)再会があればええかもしれんが、私の場合はむしろ現実とSNSの世界とのギャップに首をかしげることの方が大きい。

それでも、SNSも現実社会と一緒で世間は狭いんやということを実感する。
だから、こっちでもあっちでも下手な真似はできまへんねん。

まぁ、そもそも同窓会も出席できるのかは完全に日程次第なんですがね。
完全にね。