「あいつ」

「あいつ」が突然いなくなって、ちょうど半年が経とうとしている。

半月ほど前、深夜に偶然一緒になった友人と駅から帰ってる最中偶然「あいつ」の話になった。

その友人と「あいつ」は、小中高、さらに専門学校も就職した会社も親メーカーが同じで職種も同じだった。春頃に集まったとき友人は仕事が大変だなんて愚痴をこぼしてたんやけど、「あいつ」のことを考えると今の仕事を辞めるのは後ろめたい、と言ってこんな話を続けた。

「あいつ」は昔から、機械をいじったり簡単な機械をこしらえることが大好きで、周りは頼りにしていたし、「あいつ」もあいつで嫌な顔ひとつせずみんなのわがままに答えてくれたらしい。
そんな「あいつ」が選んだ職業は、そんな彼にピッタリで、しかもあいつ自身がずっと夢見ていた職業だったらしい。
念願の仕事を始めて数年が経ち、さぁこれからという時に志半ばでその道を絶たれてしまった「あいつ」のことを考えると、簡単に今の仕事を放り出すのは「あいつ」にも申し訳ないというのが友人の言ったこと。

私も、高校時代「あいつ」から言われた一言を忘れたことがない。
その時の私は、入ったばかりの部活をしょうもない理由で退部しようとしていた。「あいつ」の言葉も無視して、そのときはこれでいいんだと自分を納得させていた部分があった。
その後個人的に色々辛い体験を通して思ったこと…
自分をもっと大事に、自分に対してもっと正直に、そして自分のことを誰よりも理解するようにする
ということを考えるようになった根幹には、やはりあのときの「あいつ」の一言を忘れてはいけないという思いがある。
というよりもこの半年はむしろ、「あいつ」の一言の意味を意識しない日はないくらい、常に頭の片隅に考えてたように思う。

そういう意味で、今自分がやっていることは自分で決めた道。楽しいことも多いけど、自分の中では何かが違うなとか、まだまだ足らない部分が多いことに気づいては目の前の壁の高さを痛感することも多い。でも今ここで放り投げるのは一度ではなく二度も「あいつ」を反故にするような気がして今度は示しがつかない。だから頑張らなあかんと、後ろ向きになるたびにそう言い聞かせては自分に喝を入れている。

自分の好きなことが出来るということは、とても大事なことなんだ

友人は私にそう言ってくれた。ホンマにそのとおりやと思う。「あいつ」がいなくなってから、それをより強く実感して毎日を過ごしている。

半年前の別れの朝、慶野松原に立ち寄ったとき海はいつもどおり穏やかで、空は誰からも愛された「あいつ」と皆との数年ぶりの再会を喜び、また永遠の別れを惜しむかのようだった気がする。半年後の空は、現在の自分に対して「オイ、もっと頑張ってくれよ」「あいつ」が今までの辛いことを流し、これからの自分に向けて喝を入れてくれている、そんな気持ちにさせてくれる。

自分を愛し、そして周りからも愛されるような人間になりたい

この気持ちを忘れずに、「あいつ」の分まで生きてやろうと思う。