苦しいと思うまで突き詰めたら、道は開ける。

関西ローカルで、この曲をテーマにした震災15年メモリアルCMが流されている。

当時を思い返すと、今でも鮮明に覚えていることは5点。

・発生した瞬間は、轟音で目が覚めたが、まさか地震だとは認識できず、ただただベッドの上でじっとするだけ。
 (神戸で震度6だと知ったのは、発生から1時間後くらい。マスコミにも情報がなかなか伝達されていなかった)
父親は、「同僚へ暖かいものを提供したい」ということで、電気鍋に毎日炊き出しの献立を仕込み、いつもの数倍の時間をかけて車で東灘まで出勤していた。
・母親は、当時板宿に住んでいた姉が疎開を拒んだことに、電話口で号泣していた。
・1ヶ月ほど疎開していた同級生が、本山に帰るときに「テレビ出るから」と笑顔で語っていた。ブラウン管の向こうで彼は、亡くなった親友の自宅の跡地で花を手向け、手を合わせていた。
・数ヶ月後に鉄道が再開された後、初めて車窓から見た長田の景色は、焼け野原の後の更地がどこまでも広がっていた。

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NHKのプロフェッショナルと言う番組に出演していた、研究者のひとこと。

「苦しいと思うまで突き詰めたら、道は開ける」

当時の神戸も、「がんばろう神戸」のスローガンの下、必死に街の復興に向けて皆が一丸となっていたことだろう。
仰木監督イチローも在籍していたオリックスも、震災のあった95年と96年にペナントレースを制し、96年には日本一まで経験している。

苦しいとか、辛いとか、そういう感情がこみ上げるのは、自分の中で何かが変わろうとしているシグナルだ。
そのシグナルは、自分にとって良い方向に変わっているのか、はたまた悪い方向に変わっているかなんて、そんなのそこで判断できるわけがない。
けれども、何かが変わるのであれば、少しでも良い方向に向かって欲しいと願わなくちゃいけない。
そして、その願いを叶えるために、自分が今何をしなくちゃいけないのか。
答えは見えてくるはずだ。