あれから10年 10 years past since the day

あの日からもう10年が過ぎた。

私の家は震源に近かったけれども、野島断層とは反対の方向に住んでいたので大きな被害はなかった。

でも、神戸には親戚がたくさん住んでいたから水をポリタンクに詰めて混雑する一般道路を迂回しながら何度も届けに行った事もある。

私の同級生のいとこが半月ほど同級生の所に避難してきた。彼は東灘に帰るとき、「テレビに出たから見てや」と笑顔で言っていた。その番組で私は彼の友達が震災で亡くなった事を初めて知った。彼は今どこで何をしているのだろうか。

震災から3ヵ月後、電車がようやく通るようになって初めて自分の目で見た長田の風景、まるで時間が止まったようなその光景に言葉が出なかった。

あれから10年。私も小学生から大人になったし、神戸の街もだいぶ変わってしまった。

けれども、今でも地震があると「またか」と身構えてしまうし、新潟やインド洋のニュースを見るとあの時見た風景とダブってしまう。私の知り合いで人と防災未来センターで働いてはる人がいて昨年は新潟、スリランカ地震被害の調査に出かけている。その人の話ではスリランカでも私達が遭ったよりも相当に深刻な被害を受けたらしい。大津波で街中はがれきの山、衛生状態も悪く疫病が出始めているそうだ。

こうした話を聞くと普段は地震のことなんて忘れて生きているのにふとあの時を思い出す。根本的なところで震災の感覚は忘れられずに体に染み付いているのだ。

でも、こうした災害はこれからも起こりうるし、実際に昨年は新潟やインド洋では大きな被害を受けたのだから、少なくともこの震災を経験したことを、もし今度関西で大きな地震があった場合活かせるようにするのが私たちの役目なんだと思う。

とにかく今日は、テレビで震災の特集ばっかりやってるやろから、今日ぐらいはあの日のことをしのんで過ごしましょう。

On January 17 1995, Kobe city had a great earthquake, which we call "The Great Hanshin-Awaji Earthquake".
I lived near by the seismic center, but the dislocation ran opposite direction and my house was OK.

Instead, Kobe city was destroyed for axample Nagata was burned in a big fire. Shinkansen and Hanshin Expressway falled down in many places. So many houses collapsed and more than 6,000 people died in the quake.

Now Kobe city is almost reconstructed, but I still become anxious when I hear the news of earthquake such as Nigata and The Indian Sea. I can never forget the day and I will never forget the day I had the quake.